■ 室蘭やきとりの知名度アップに貢献、石塚和義さん死去
【2017年4月26日(水)朝刊】

室蘭市で10年間開かれたジャズクルーズをPRする石塚氏(右)と、支えた山下実行委員長
 25日に69歳で亡くなった「やきとりの一平」(本社室蘭)を展開する一平本店会長の石塚和義氏は、老舗やきとり店を西胆振にとどまらず札幌にも展開し「室蘭やきとり」を全国に発信し続け、知名度アップに大いに貢献した。また、室蘭ジャズクルーズの実行委員会会長を10年務め、地域の音楽文化振興やまちおこしにも発揮したその手腕を関係者は惜しんだ。

 石塚氏は25日午前6時10分、膵臓がんのため入院先の病院で亡くなった。通夜は27日午後6時、葬儀・告別式は28日午前10時、室蘭市寿町3の雲上閣本館で。喪主は長女で一平本店代表取締役の千津さん。葬儀委員長は、元室蘭ジャズクルーズ実行委員長で、日本企業観光代表取締役の山下正純氏。社葬で執り行う。

 訃報に接した室蘭市長の青山剛市長は「石塚さんは室蘭やきとりを全国に発信した最大の功労者でした。ロマンを追求し、情緒漂う港まちにスイングを響かせた功績も多くの市民の記憶に残っています。ご冥福をお祈りいたします」とコメントした。


◆―― 69歳の生涯…「安らかに」

 「室蘭やきとり」を全国区にした功績者は、愛し続けたジャズで地域を元気づけようと情熱を傾けた信念の人―。室蘭の老舗・やきとり一平を展開する一平本店会長の石塚和義氏が69歳の生涯を閉じ、関係者からは時に強い意思を示す気性や突出した経営手腕の一方で、頼まれ事は断れない面倒見の良い一面も聞かれた。

 石塚氏は、やきとりの一平の2代目。室蘭など西胆振のほか札幌にも進出。2007年(平成19年)、08年とやきとリンピックで連覇し、全国やきとり連絡協議会の理事店としての活動などが「室蘭やきとり」を全国区に推し上げた。

 「経営手腕で室蘭のトップを走った。同期の商売の仲間が次々と亡くなり、力が入らない」と肩を落とすのは、おらが村村長の堀井年驍ウん(69)=室蘭市輪西町。大沢小、鶴ヶ崎中時代の同級生だった。

 「晩年は店にもよく来てくれて、小さい頃の風呂屋の話で盛り上がった。半年ほど前、石塚さんは娘夫婦と孫を連れて店を訪れた。堀井さんは得意のマジックを披露した。「彼が孫に見せてほしいと言ってね。笑っていた」という。「気性が荒い面もあり、同期のガキ大将的な存在。だからこそ商売につながった」と振り返る。

 東京・駒八グループの八百坂仁代表取締役社長(68)は、東京で10年前に室蘭やきとりの店・無炉爛を開店した際、職人の指導とタレの供給を受けた。石塚さんは小中学校の1学年上で「僕にとって頼れる先輩だった」と惜しむ。

 「昨年6月に室蘭に帰った時、鳥辰本店でお会いしたのが最後。カウンターに一人いて、帰りがけに声を掛けるとうれしそうだった。先輩の意思を継ぎ、室蘭やきとりの普及発展に努めます」と語った。

 室蘭港にジャスが響き渡ったのは01年。石塚さんは室蘭ジャズクルーズの実行委員会会長を10年間務めた。ルーツは1972年にジャズ喫茶ビーフラを輪西町に開店させたことにさかのぼり、ジャズをこよなく愛した。ジョン・コルトレーンの「バラード」、ジョニー・ハートマンとの共演が愛聴版だった。

 実行委員長として二人三脚で盛り上げた日本企業観光の山下正純代表取締役(59)は「眠るような最期を迎えられた」と口を結ぶ。「闘病生活は厳しかった。それでも弱音を吐かず頑張り続けた」という。

 ジャズクルーズの運営を通し、深夜まで議論でぶつかることもあった。「何とか室蘭を活性化させたい、文化を根付かせたいという思いを感じた。頼まれ事は断れない性格で、それなくして10年は続かなかった。石塚さんを支えたかった」という。「意思の強い人。商売も室蘭への思いも、音楽も」。それだけに「今は安らかに」と願う。
(粟島暁浩)

【写真=室蘭市で10年間開かれたジャズクルーズをPRする石塚氏(右)と、支えた山下実行委員長




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